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子供を叱る際に、「~しなさい!」と怒気を孕むのは無意味である、とかそんな内容を読んだか聞いたかしたことがある。 ならばどうすればいいかというと、「~できるかな?」とか、あるいは「~できないよね?」と言った言い回しを用いて、子供の……何だろう、プライド? みたいなのをくすぐるような言い回しをする方が効果的であるそうだ。 これは実際に試した上で効果があると知った。 先人の知恵とは大したものだ。 しかしこれって言うことこそ聞いてはくれるかも知れないけれど、やはり何処かできちんと「怒る」姿を見せないと、子供の中に間違ったヒエラルキーが形成されてしまうのではないかと言う危機感がある。 言い方は悪いけれど、犬をしつけるのと同じように、だ。 やはり言い方は悪いが、きちんとした上下関係的なものを身につける必要はあると思う。 この発想は儒教的なんだろうか。 まあ確かに、年長者=正しいということはありえないわけで。 むしろ最近暴走するのは若者よりも老人と言われている。 どこぞの赤い人も「新しい時代を作るのは老人ではない」などと言っていたような。 老兵は死なず~ともあるように、正しく身を引ける姿こそ今の彼らにあるべき年長者の見本なのではないかと思ったりするが、そんな思想は厨二病にでもさせておけばいいので置いておくことにする。 我が家においては、嫁が怒ると言う姿を見せ、私は諭すという行動を取る事が多い。 私も勿論怒ることもある。 しかも結構理不尽な形で。 主に寝起きに。 私という人間は実に性格の悪い人間であるから、娘に対してあまり怒らないのも「娘に嫌われたくないから」と言う事が心の底にあることは明白だ。 心の底にあると言うよりも、それが私の本質だろう。 嫁に対して「そんな風に怒ってはダメだよ」などと聖人ぶっては嫁の心象を悪くしたりするけれども、何より私は娘の心象を取り繕うことに必死なのだと思う。 私は間違いなく八方美人的な因子を持っている。 友人関係においてもこれは発揮されているのではないかと推測するが、自分の事を完全に知るのは難しい。 自分自身は自分自身の意志思考にプラスして、他人からの心象によっても形成されるのだ。 他人の心の内を知ることはできない。 まあ。 何が言いたいかというと、このまま嫁に対し「そういうのはダメよ」的な聖人君子を演じ続ければ、確実に嫁は私に対し、呆れた目線ならばまだ良し、あるいは「どうせ自分は」的な自己卑下を始めるのではないかと恐れている。 そうなれば、全て私の尊大が招いた結果となる。 それは避けねばならない。 しっかし。 しょっちゅうそんな事を考えているが、実際に何かをしたかというとそんな事はないようなわけで。 嫁に対する言い訳を必死に見繕っているようにしか思えない時が自分自身にもある。 所詮はピエロなのよ、などと厨二ぶった思考に陥る歳でもないし、やれやれ一体どうしたものか。 何も考えず、いつも通り自分自身をやり通すのが一番いいかしら。 最近は「自分に打ち勝つ」という言葉に対し、「自分は最後まで自分の味方だ」などと言う返しもある。 方々を気にするよりは、直線を駆けるほうが気も楽か。 「そうやって自分をゴリ押した結果がスパ4の連敗なのよ、もっと他人を読みなさい」と言われたら五飛。 私はどうすればいい?
by unnyo8739
| 2012-03-06 10:38
| 日誌叙情駄文
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