|
私は自分にそれなりに自信がある人間だと思う。 思う、という表現を使っている時点で「実はそんなに自信がないんじゃね?」などと思われるかも知れないが、これは謙虚さの現れだ。 自信は必要なものだが、過ぎれば傲慢でしか無い。 まあそれはいい。 今回は自分の娘に対する様々を考えてみようと思う。 いきなり問題点の話をしてもいいのだけれど、私の性格上色々と準備だてなければ何とも落ち着かない。 従ってまずは娘が生まれる前の話からしてみようと思う。 嫁が「妊娠したぽい」と言ったとき、私は頭から血の気の引く思いだった。 別に結婚をしていたわけだし、子供が出来ることは喜ばしいことであると単純に思うのは、あくまで他人の目線だ。 その日より私はどうしようもなく答えのない自己問答へと突き進むこととなる。 それは不安、不安だったのだ。 自分が親となることの、親として子に接することができるかの、どのように接していけばいいのかの。 様々な不安がよぎり、正直喜びよりもストレスのほうが多かったかも知れない。 その反動が来たのか、嫁のほぼ出産前に激しい腰痛に苛まれ、入院の憂き目すら見た。 しかし。 実際娘が生まれてからの私といえば、まさに浮かれに浮かれていたように思う。 可愛くて可愛くて仕方ない。 同時に恐ろしかった。 僅かな事でも命に関わってしまうような弱い身体を、自らの責任で扱わなければならないことに。 思えば抱き方もいい加減だったかも知れない。 ただ、恐る恐る抱いていた覚えがある。 時を加速する。 この間にも様々があったが、このペースで話をすると長くなってしまうので省略だ。 そして現在。 相変わらず私は娘が可愛くて仕方がない。 可愛くて仕方がないが故に、泣いている彼女を見ると、どうしようもなく心が痛んで仕方がない。 胸を締め付けられる思いというか。どうしても放っておけない衝動に駆られる。 だからこそ私は娘に対して怒るということが殆ど無かったのだ。 と言う話を先日遊んでいた絵チャットにて発言してみたところ、メンバーの一人が「それは良くない」と言う。 そう言えば過去にも嫁に「きちんと怒らないと駄目だ」等と言われた気もする。 確かそれは「ママが怒るからやっちゃダメだよ」等といった時だったか。 その際嫁はどこぞの育児書か何かからの情報か、あるいはネット上の情報であるかは不明であるけれど、確か根拠を示して私に注意をしていたような気がする。 しかし、私はそれにほとんど耳を傾けなかった。 育児書よりも現実。 人は人、自分は自分。 無駄に自信を感じていたが故に、それをスルーしたのである。 けれど私は絵チャ上のメンバーの発言に心を動かされた。 こう言った助言めいた事は、権威ある人よりも、他人よりも、友人やそれに値する人の言葉のほうが重いのだ。 と言う事で。 彼の発言が気になった私は、早速ネットを使って情報を集めてみた。 そして丁度自分達に該当するであろう項目を見て、愕然というか、何と言うか。 まあ衝撃をうける、という程でもないのだけれど、兎に角表現の仕方が分からないが、付きつけられた事実は脳内にて何度も何度も反芻された。 子供可愛さは兎も角、それによる甘やかしは子供の為にならない。 当然だ、私も馬鹿であるつもりはない。 心の何処かで、頭の片隅で、その事実を受け入れていたのだ。 けれど、どうしても泣いている彼女を見れば、放っておけないのだ。 苦しみすら覚える。 嫁の怒り方は正しかった。 が、時に彼女は感情的になってしまう。 子供相手はどうしても疲れがたまってしまうことなのだ。 私はそれを汲まなければならない。 私に必要なことは、正しく娘を怒る術だ。 そして同時に嫁の心を支える寛容を持たねばならない。 それは実にシンプルで、実行しやすく思えることだけれども、実際にその場にあると、中々に難しいことだ。 しかし。 私は最強なので、何とかするに違いない。 私が私に期待しなくて、誰が私に期待などするものか。 まあ、何をどうすればいいのかなんてさっぱり分からないのだけれども、どうせ100%正しい答えなどない事柄だ。 せいぜい頑張って挑んでみることにする。 これくらい恥ずかしいほどに自分に酔わなければ、どうしても実行できそうにないのが辛いところだが。 あと、嫁。 ごめんね。
by unnyo8739
| 2011-02-23 10:53
| 娘観察日記。
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||